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和菓子の原型は、今から1400年以前の推古天皇の御代に、中国大陸へ遣隋使を派遣し、交流を始めたころから整えられていったと伝えられます。
「羊羹(ようかん)」
羊羹はもともと仏教文化がもたらした、神仏への供物の一種といわれています。羊肉に黒砂糖を煉り合わせて「羊肝」と言っていたようです。日本には禅僧が伝えたそうですが、肉食を忌む日本では、そのままでは伝わらなかったようで、鎌倉時代になると小豆を主流とした蒸し物がつくられ、汁物の具として使われた時代が現れました。室町時代に入って、茶道が盛んになると、点心としての羹(あつもの)が喜ばれるようになり、『蒸し菓子』として珍重されるようになりました。後世の蒸し羊羹に発展したそうです。
蒸し固める蒸し羊羹の作り方を、ところてんを加えることにより煉り固める方法に変えたのは、江戸時代、寛政(1789~1801)の初めに、ある職人が煉り羊羹を作り出して評判になり、日持ちのする菓子としての評価を得たそうです。
現在の羊羹には、蒸し物の羊羹と流し物の羊羹とがあります。蒸し羊羹やそれに蜜煮の栗を入れた栗蒸し羊羹などは蒸し物に属します。流し物の羊羹は寒天と砂糖を溶かし、これに各種のあんを配合して流し固めるもので、煉り羊羹や水羊羹がこれに属します。
和菓子の材料には様々なものがありますが、特に豆類から作られる餡(あん)は、和菓子の基本と言われるほど重要視されます。よくみられる黒っぽい餡は小豆が原料の『赤あん』と言われます。餡を作る際、漉(こ)して豆の皮を取り去ったものが『こしあん』、豆の粒を残したものが『粒あん』、皮ごとすりつぶしたものが『つぶしあん』と呼ばれています。当店の本煉羊羹や塩羊羹は,小豆の『こし餡』を煉りこんで作っています。また、手亡(てぼう)、インゲン豆の種類から作られる白い『こし餡』もあり、当店の柚子羊羹・抹茶羊羹・桜羊羹は『白餡』でつくっています。
紅葉屋本舗の羊羹は季節感でも味わい楽しめます。
春は、桜ようかんは本州最南端の桜を使い作っています。桜エキスも自社製です。桜の香りは桜の花が散ってから新芽の葉が出てきます。新芽の葉を収穫して煮込み作ります。口に入れたら桜餅みたいな香りが口いっぱいに広がり春の季節を感じます。
5月の季節は新茶の収穫時で抹茶羊羹の材料も新茶に5月から7月にかけ新茶に代わります。抹茶の香りもよくお茶と一緒に召し上がっても良く合います。
夏は和歌山県の天日塩を使った塩羊羹が、汗をかいた体に優しく塩分補給が出来ます。
塩ようかんはプレミア和歌山で特別賞受賞しています。
冬は、柚子の季節で柚子羊羹はモンドセレクションで10年連続で金賞受賞して評価を受けています。地元の柚子を使っています。香りも良く程よい苦みもあり美味しいです。
本煉羊羹は冬でも新茶の季節でも季節問わず召し上がれます。本煉羊羹はモンドセレクション10年連続金賞受賞しています。
羊羹は手土産や御贈答品や内祝や冠婚葬祭での贈り物にも適しています。
紅葉屋本舗の羊羹は明治三十三年(1900年)旧古座町中湊(現串本町)で「もみぢや菓子舗」を創業いたしました。
京都、東京から職人を招き、本煉羊羹を作りはじめると、古座港で働く人たち(関東への木炭・木材の出荷が盛んであった)や地元の人に人気となり、旧国鉄の車内でも販売、4代目が戦後(昭和三十年頃)に暖簾を下ろすまで、地域とともに歩んできました。
平成十三年(2001年)、5代目となる現羊羹職人が、偶然、仏壇の中から初代の帳面をみつけました。そこに羊羹のレシピを発見、一念発起、紅葉屋の味を復活するため、試行錯誤すること3年。ついにまぼろしの味を再現しました。
紅葉屋本舗の創業当時の店と、創業者の坂井申二郎、仏壇から発見されたレシピで、その後も地元の特産品を使用した商品開発に力をそそぎ、柚子、桜、塩、抹茶、の羊羹をつくり、モンドセレクションやプレミア和歌山などの賞も頂いております。
現在も、他企業とのコラボ羊羹や温州みかんのゼリー飲料など、新しい挑戦を続けています。
エステー、湯浅、那智黒などのコラボ羊羹の写真

商品紹介